嫌な予感はあった。 尊敬する師への信頼は弟子になって、いやそれ以前から変わらず揺らぐ事はなかったが、 最近は何か少し焦っているようにも見えた。 秘術を解き明かす。 それは錬金術師ならば誰もが夢見ることであり、最初に叶えるのは師をおいて他にいないと確信していた。 病床に伏してしまい世紀の実験に立ち会えない事は悔しくて仕方なかったが、 熱病にうなされた状態ではついて行くことを認めてはもらえず、足手まといになってしまうことを自身でも 理解していた故にベッドの上で成功の報告を待つことに納得したのだ。 しかし伝わってくる言葉は想像を超えていた。 国が消えた?? その国の名には聞き覚えがあった。師が呼ばれた国であり実験を行う場となる国だ。 熱が引かぬ体では思うように動けず、やっと動けるようになるとすぐに師の後を追って旅に出た。 ……全てがおかしかった。 立ち寄る村々に人々はおらず、人どころか犬も馬も鳥さえもいなかった。 これを我が師が引き起こしたこととは思いたくなかった。 「師に会わないと……」 それ以外の事は考えないようにした。 師が出掛ける前に話していた実験を行うという森に向かっていると遠くから歩いてくる人の姿があった。 それは憔悴しきって変わり果てた姿になったパラケルススだった。 その様子を見てソフィアはこの惨事を招いたのは師であることを理解した。 (「錬金術を学んでも人々を幸福にするとは限らんぞ、大きすぎる力は時に人を不幸にする。それでも学びたいのか?」) かつて弟子になる時に師が言った言葉を思い出した。言葉では分かっていた。 けれど師は間違いなど犯さないと、師だけは失敗などと言う言葉と無縁であるとどこかで信じていた。 今にも倒れそうな師を支えると、こんなにも弱々しい老人が偉大なるパラケルススなのかと驚くとともに 自分が助けるのだと静かに決意した。 師を支えながら旅を続け、再び禁呪を執り行う為に滅んだ国の跡地へと戻ってきた。 禁呪を使う者が出てきた時に対抗する力が必要だという師の考えは間違ってはいないだろう。 だが可能ならば禁呪そのものを消滅させて欲しかった。しかし、師が人生を賭けた研究を否定するような事を 口にできるはずがなかった。 最大の問題は「どうやって強大な力を安定させ定着させるか」ということだった。 その答えをパラケルススもソフィアも少し前から気が付いていた。 人の強き魂が禁呪の暴走を留める事ができるということに……。 だがそれを師は決して口にしなかった。 これ以上、誰一人として禁呪の犠牲にしたくないという師の考えをソフィアは痛い程理解していた。 再び禁呪を使う事は危険を伴う。だからこそ師が成功するか分からないと危惧する実験に半ば強引について行った。 ソフィアがついてきたのは「師の役に立つため」なのだから。 禁呪を再び使う準備を始めるとソフィアは少し離れた場所から師に声をかけた。 初めて出会った時から幾分の年月が流れ、大人になった少女はあの頃と変わらぬ瞳でまっすぐに尊敬する師を 見つめながら自分を媒体にすることを提案した。 当然のように反対したパラケルススだが、心のどこかでその提案を喜んでいる自身を感じていた、 それが研究者の性なのだろう。そんな己を嫌悪しながら最終的には弟子の提案を受け入れた。 ソフィアの力を借りた禁呪は成功を収めた。 まばゆい輝きを放ちながらその力達はパラケルススの前に静かに佇んでいた。 その傍らにソフィアの姿はもうない。 彼女の精神は銀の翼と共にあり、これから気の遠くなるような長き時間を一人で過ごすことになるのだ。 パラケルススは消耗しきった体に鞭を打つと、一度だけ別れの言葉を口にして森を後にした。 「君が私の弟子でよかった、ソフィア、君は永久に私のただ一人の愛弟子だ。 ……今までありがとう。そして、これからを頼む。」 その言葉を胸に、ソフィアは静かに長き眠りについたのだった。